制作者インタビュー|STORY00 ライター飯室佐世子

「人生のベスト盤」はじまりのおはなし。

結婚式の直前、父を亡くした。
バージンロードは歩けなかった。

人の話を聞く仕事をしてきた私は、
これから何ができるだろう。

父と娘の、再生のストーリー。

文章がつなげた親子の気持ち

ライターとしてやっていこうと決意した出来事を、今でも鮮明に覚えています。

駆け出しの頃、取材した一人の美容師さんから、記事の感想をもらいました。その方は、4年制大学を卒業したあと美容専門学校に入り、両親の反対を押して美容師になった女性でした。美容師であることを認められてはいたけれど、なんとなく両親と距離があったんですね。

そんな中、私の書いた記事がきっかけで、初めて両親と仕事について話すことができたと伝えてくれました。ご両親が嬉しそうに「あなたがこんな風に考えていたなんて知らなかった」と言ってくれたそうです。
それを聞いて、その方が生きる上で、ほんの少しでも気持ちを楽にすることができたのなら、こんなに嬉しいことはないと思いました。

人間関係って、近くにいても、相手のすべてを理解することは難しいと思います。近くにいればいるほど、決まった一面しか見えなくなってしまう。
それを、第三者が聞いて文章にすることで想いが伝わることがあるなら、すごく意味のある仕事だと感じました。

取材をすると、相手のさまざまな「切り口」が見える感覚があります。ふとした言葉や表情から、その人の隠れた一面が感じられる瞬間があるのです。
そこを丁寧に聞いていくと、人知れず何十年ジタバタしたからこそ形になった言葉が現れる。そんな言葉たちを、宝物のように感じていました。

突然の父の死

仕事のやりがいを実感して、結婚も決まって。そんな矢先、父が亡くなりました。

実家を出る前に最後1週間、両親と一緒に過ごそうと決めた、まさにその日のことでした。
夜中に倒れて入院し、そのまま。

あまりに突然で、頭の中が真っ白になってしまいました。結婚式で一緒にバージンロードを歩きたかったのに、それだけはやりたかったのに、できなくなってしまった。

何か遺してくれているものはないかと、祈るような気持ちで父のパソコンを開くと、1つのファイルがありました。
そこには、若い人に講演するとしたら話したいことが書かれていました。パイロットだった父にとっての、職場での印象的な出来事や武勇伝。家族も知っているおなじみの話が並んだあと、最後に、「パイロットとして生きる」という項目がありました。
その言葉を見たとき、これは何を言おうとしていたんだろうと思って。聞けばよかったんだなあって。

これまで他人の話ばっかり聞いて、他人の話をいっぱい書いて、なんで一番大事な家族の話を聞かなかったんだろう。家を出るぎりぎりまで、ありがとうさえ直接言えなかった。

人から父の話を聞くことはできるけど、この話だけはもう聞けないんだ、そんな気持ちでいっぱいでした。

相手を「受け入れる」ことを教えてくれた

父の葬儀のあと、来てくださった方に葉書を送りました。母が書いた感謝の想いを、私が編集したものです。
それを受け取った方々が、電話やLINEで「こんな故人を偲ぶ文章は初めてもらった」とわざわざ連絡をくれました。「彼がどれほど家族に大切に思われていたか、わかった」と。

亡くなる数年前から、父はがんを患っていました。病気が発覚して落ち込む父の姿を見て、どう接していいかわからず、うまく話せないこともありました。言葉足らずで、ぎくしゃくしてしまうこともありました。

でも思い返せば、父はすごく明るい人で、知らないうちに私の友達と遊びに行っていたこともあるぐらい、周りに好かれた人でした。忙しい中でも家族を守ってくれて、「大丈夫、平気平気!」「問題ないから」というのが口癖でした。

私が悪さをしたときも、仕事帰りにそのまま先方へ頭を下げに行って、これで収まるならいくらでも行ってやるから気が済むまでやれと言ってくれたり。
中学の夏休み、私が突然「金髪にする」と言い出したときも、頭ごなしに否定せず、むしろお風呂場で染めるのを手伝ってくれたり。俺けっこう上手だな、なんて言って。
母からは「嫌だ~もうこの不良親子~!」とよく言われていました。

どこまでも相手を受け入れて、否定しない。
末っ子で突飛な行動ばかりしていた私をいつも信じてくれる、そんな父でした。

それは私にだけではなく、誰に対してもそうだったと思います。
大学のパイロット養成コースで教壇に立てば、成績が思わしくない学生のフォローをしてあげる。なぜかと聞いたら、明らかに不真面目な学生には厳しくするけれど、やる気の大小は俺が測ることじゃないと言っていました。テストができるのはいいことかもしれないけれど、それだけで人間性は測れない。やる気が出なくても、今はそういうタイミングなだけであって、
だからお前は駄目だ、という言い方はしないんだと教えてくれました。

それは、目の前の相手をただ受け入れるということ。「だからどう」というジャッジをしない、すごくフラットな人でした。

今思えば、父の教えてくれたその考え方が、私の仕事にも役立っていると感じます。取材をする上で大切なことは、相手をきちんと受け入れること。自分の思い込みでジャッジをしたら、文章にしたとき相手の想いを歪めてしまうからです。

父の死から数ヶ月。
大切なことを遺してもらったのかなと思えるようになりました。

大好きな父との大切な1枚

大切な人を好きでい続けるために、これからも聞く

そして去年の12月、父が私に遺してくれたお金を元手に、起業しました。

人との別れは、どうしても後悔が残るものだと思います。とても辛いことなのに、親が亡くなるのも、大切な人が亡くなるのも、避けることはできません。
でも、何もせずただその瞬間を待つのではなく、ひとつでも「想定できる後悔」を減らしていくことはできるのではないかと思っています。

父を亡くすのは想像以上に辛かったけれど、父との記憶を思い出すことで、家族を、そして自分自身を、また好きになることができました。
どんな相手でも、接する角度によっては「切り口」が見えず、うまく想いが伝わらないこともある。だから、あるタイミングのある一面だけを見て好き嫌いを決めてしまうのは、もったいないと思うのです。
大切な人を好きでい続けるために、できるだけ想いを聞いておくことが、失う前にできる唯一のことのように感じています。

家族って不思議なもので、絶対に許さないと思うことがあっても、次の日、目も合わさずごめんねって言われるだけで、元に戻れてしまう。
でも、それほど絆が強いからこそ、言わなくてもわかるよね、となってしまって、なかなかきちんと話せないこともあります。大事にしなきゃいけないことはわかっているし、伝えなければ絶対後悔することもわかっているのに、話せない。

だからこそ、家族以外の第三者が聞くことで、素直な想いを遺せたらいいと思います。

「こんなに辛いと思わなかった」と、私と同じ経験をする人は、きっと少なくない。いつか来るとわかっている悲しみに
丸裸で突っ込んで行くのは辛すぎるから、少しでも痛みを減らせるようにしたい。

そんな想いで、このサービスを始めます。

1年前は、こんな仕事をするなんて夢にも思っていませんでした。
父ならきっと、「大丈夫」と言ってくれるかな。
(聞き手:大西 志帆)

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この記事を書いた人

飯室 佐世子のアバター 飯室 佐世子 ライター

株式会社声音代表。「あなたの声を遺す」ライター。
アパレル業界で企画営業、毎シーズンのカタログ制作などを経験したのち、制作会社を経て独立。ナショナルブランドや行政機関のコピーライティング・企業のオウンドメディア運営・取材記事執筆などを手がける。2021年に会社設立。一人ひとりの想いに寄り添う取材を行い、これまで150人ほどの取材記事を執筆してきた。